満月の夜に想いを綴る日記
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米経済ニュースレター

Thu 05 Feb’09

カテゴリー » 埼玉

1 概況:内外景気の悪化を背景に下落
 先週の日本株は水準を切り下げ、日経平均は1か月ぶりに一時8,000円台を割り込む展開となった。米経済指標の悪化や為替が円高水準で推移していることで、輸出関連株の下落につながった。複数の電機大手が赤字に転落するとの観測から、決算発表への警戒感も高まった。

 また、国内経済指標でも11月の機械受注(船舶・電力を除く民需、1/15)が予想を大幅に下回る落ち込みとなり、内需関連株にも売り圧力が加わった。

 米国株式相場は、景気悪化を示す経済指標や10~12月期決算における企業業績の悪化が売り材料となって下落した。12月の小売売上高(1/14)は前月比2.7%減少と事前予想を大幅に下回り、クリスマス商戦が低調であったことを示した。

 企業関連では主要企業の先陣を切って発表された米アルミ大手・アルコア(1/12)の業績悪化が悪材料となったほか、大手金融機関の部門売却観測なども金融株の売りを誘った。

2 見通し:業績悪化懸念から下値模索
 今週の日本株は、企業業績の悪化懸念などを背景に下値模索の展開が予想される。米企業の業績悪化報道に加え、決算発表を控えた国内企業についても業績予想の下方修正や観測記事が出やすく、相場の悪材料となろう。

 需給面からは、再び投資家のリスク資産圧縮の動きが強まっている可能性があり、円高が進む局面などでは換金売りが相場の押し下げ要因となろう。日経平均8,000円を明確に割り込めば、昨年来の安値が意識される展開もあり得る。

 米国株式相場は、弱含みもみ合いの展開を予想する。今週発表される12月の住宅着工件数(1/22)や週間失業保険申請件数(同)といった経済指標や、10~12月期の決算発表については引き続き厳しい内容が見込まれるため、相場の下押し材料である。

 ただし、11月以降はおおむねダウ平均で8,000~9,000ドルでの推移が続いており、足元押し目買いが入りやすい水準になっていることから、オバマ大統領就任(1/20)などを材料に景気対策への期待が相場を支える可能性はありそうだ。

3 注目点:米景気刺激策の効果
 景気後退局面が続く中、米下院民主党は15日に8,250億ドル規模の景気対策法案を発表した(Wall Street Journal、1/15)。報道によれば対策は2年間のプログラムで、内訳は5,000億ドル規模の財政支出と2,750億ドルの税制優遇となっている。

 オバマ次期政権サイドの推計(対策規模は7,750億ドルを基準として試算)によれば、景気刺激策によって2010年10~12月期の実質GDP(国内総生産)の水準が3.7%押し上げられ、雇用者数も景気刺激策がなかった場合の予想値と比べて367.5万人増加する見込みとなっている。

 民主党側は2月中旬までに法案を通過させたいと述べており、減税・公共事業が実施されるのは早ければ2009年4~6月期になると予測される。

 一方、10日に発表された米経済ニュースレター「ブルーチップ・エコノミック・インディケーターズ」における2009年の米国GDP成長率予測コンセンサスを見ると、▲1.6%と今年のマイナス成長は避けられないとの見方が一般的になっている。この予測にはオバマ次期政権での景気刺激策実施が織り込まれており、今回の施策によって景気悪化が底打ちになるとは見られていないようだ。

 下院の景気対策法案は総額で名目GDP比5.7%と大規模だが、これによって景気が回復に向かうと期待するのは早計であろう。

【米国成長率予想のコンセンサス】

4 ズバリ:今週の予想レンジは 予想レンジ TOPIX 760~860pts. 日経平均 7,700~8,700円 米クリスマス商戦の結果
 米商務省が14日に発表した12月の小売売上高は3,432億ドル(前月比▲2.7%)となり、小売全体は7月から6か月連続の下落となった。また前年比でみると▲9.8%と過去最大の下落幅を記録し、個人消費支出が冷え込んでいることを如実に表す結果となった。

 11・12月は米国においてクリスマス商戦が行われ、この時期の小売売上高は年間の2割以上を占めるため注目度が高い。米小売売上高の中でも特にクリスマス関連5業種といわれる総合小売、衣料品・アクセサリー小売、家具・内装品小売、電気製品小売、スポーツ・趣味・本・音楽小売を見ると、5業種合計で前月比▲1.5%と、2008年のクリスマス商戦は全くの不調に終わったことを示した。

【米小売売上高の推移】
※当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。

信頼できると 当社

— posted by サイト管理者 at 06:07 pm  

広義のアニメーション

Fri 23 Jan’09

カテゴリー » 埼玉

携帯電話で撮った作品を集めた映画祭「ポケットフィルム・フェスティバル・イン・ジャパン2009」(実行委員会主催、ソフトバンクグループ・毎日新聞社協賛)が24、25の両日、横浜市中区本町の東京芸大大学院映像研究科・馬車道校舎である。

 映画祭は、携帯電話を使った映像表現の発展を目指し、仏パリ市の外郭団体「市立映像フォーラム」が05年に始め、日本では同大学院が同フォーラムと提携して07年に初めて開催した。2回目の今回は、同大学院や武蔵野美大、シンガポールの大学などの新作を大きなスクリーンで上映、「ポケットフィルム」の可能性を論じるシンポジウムもある。詳細は公式サイト
東京芸術大学が昨年春、大学院に設置した映像研究科の校舎は横浜にある。その港を望むビルの一室で、アニメーション専攻学生の修了制作に向けた企画説明が行われていた。学生が話し終えると、4人の教授が講評を加えていく。

 「音の変化がないと単調になってしまう」

 「絵を動かすことで物語を説明しないと」

 教授の一人、山村浩二さん(44)はアニメーション作家として世界に知られている。落語を題材にした「頭山」(2002年、10分)で国際的なアニメーション映画祭のグランプリを6つも獲得し、第75回米アカデミー賞にもノミネートされた。フランツ・カフカが原作の「カフカ田舎医者」(07年、21分)も7つのグランプリを受賞するなど数多くの賞に輝いている。

 ◆すそ野を広げたい

 国際的な受賞は60以上、回顧上映も30カ国に達している。昨年10月のブラチスラバ・アニメーション・ビエンナーレ(スロバキア)では日本人として初の特別賞を受賞し、作品上映やパネル展示のほか、記念講演も行われた。研究者、批評家としても、海外のアニメーション映画祭の審査員に12回も招かれている。3回は審査委員長だ。

 「作家を目指す人は自分で勉強するでしょうが伸び悩む人も多い。自分の制作に影響が出るかもしれないと躊躇(ちゅうちょ)しましたがきちんとした教育機関で若者を育てたいとも思った」

 山村さんは教授を引き受けた理由をこう説明する。アニメーション専攻の学生は16人。1年生の後半からはゼミ形式となる。2年間で修了作品をつくるのが目標だが、演出などの実技指導に加え、歴史や各国の作家など世界の事情も教える。「評論のすそ野を広げたい」という思いがあるからだ。

 制作面では、キャラクター主体の「マンガアニメ」を含むアニメーションの各分野で、日本人が世界的な活躍をしている。

 だが、表現豊かな広義のアニメーションの状況を理解し、歴史と作品を語れる人は意外と少ない。アニメ評論といえば「萌(も)え」や「オタク」文化などの社会現象かキャラクター論になりがちだ。山村さんがこだわる短編アニメーションの世界になると、ほとんどいない。大学院の専攻案内には「アニメーションをとらえ直す批評的営為が、日本だけでなく世界的に必要」と書かれていた。

 ◆作品をひいてみる力

 「世界的に評論家が不足しているので、作家のぼくが専門家のようになってしまう。教授や審査員に招かれるというのは、人がいないともいえるのです」

 アニメーションを盛り上げるには評論活動が不可欠だと考え、山村さんは3年前、仲間に声をかけて創作と評論の研究所「アニメーションズ」を立ち上げた。大学院のアニメーション専攻学生で、アニメーションズにも参加する和田淳さん(28)は「山村さんは優れた作家であり、優れた批評家だと思う。作家は作品にのめり込むのと同時に、ひいてみることが必要。その能力が尋常じゃない」と話す。

尋常 能力

— posted by サイト管理者 at 06:57 pm  

自動車製造工場に勤務

Sat 10 Jan’09

カテゴリー » 埼玉

「年越し派遣村」実行委員会が4日午前にまとめた集計によると、同村に登録した元派遣社員らは3日夜までに410人。このうち厚生労働省の講堂に約260人、同公園内のテントに約140人が宿泊した。4日も新たな登録者が相次ぎ、最終的に500人近くになる見通しという。

 実行委などによると、5~12日の間、都や中央区が用意した都内4か所の施設で500人分の受け入れ先が確保されたという。

元派遣社員の声(いずれも男性。日付は昨年。カッコ内は直前の勤務地、年齢)
 12月27日まで自動車製造工場に勤務。寮も退去させられた。自力で仕事を見つけるのは難しく、中ぶらりんの状態だ。企業は最低限の契約を守ってほしい。(愛知、42歳)

 11月まで自動車工場でエンジン機械加工を担当。求人誌などをみて面接に行ったが、1件は年齢で断られ、もう1件は連絡すらない。もう涙は出尽くした。(栃木、47歳)

 11月末までプリンター製造工場に勤務。料金滞納で携帯電話も止められた。自分の年を考えると、無職となったことは会社や社会のせいばかりとは言えない。(埼玉、39歳)

 12月20日までテレビ製造工場に勤務。ネットカフェや公園で寝泊まりしていた。福祉関係の仕事に就きたい。行政には、資格取得の支援をしてほしい。(三重、29歳)

 12月27日まで工場でフォークリフトを運転。寮付きの仕事は契約が切られると、住まいも失うので嫌だ。労働者を簡単に切ることが出来ない法律を作ってほしい。(滋賀、54歳)

 12月末まで自動車製造工場に勤務。都内のネットカフェで過ごしているうちに、所持金が底をついた。派遣会社から次の仕事も来ない。生活保護を受けたい。(神奈川、36歳)

テレビ製造工場

— posted by サイト管理者 at 04:38 pm  

階級社会の軍隊

Mon 29 Dec’08

カテゴリー » 埼玉

第二に、鴎外が陸軍の脚気惨害を助長したという批判に対し、次のような見解がある。まず、陸軍の脚気惨害の責任について、戦時下で陸軍の衛生に関する総責任を負う野戦衛生長官(日清戦争・石黒忠悳、日露戦争・小池正直)ではなく、隷下の一軍医部長を矢面に立たせることへの疑問である。次に、鴎外が白米飯を擁護したことが陸軍の脚気惨害を助長したという批判については、日露戦争当時、麦飯派の寺内正毅が陸軍大臣であった(麦飯を主張する軍医部長がいた)にもかかわらず、大本営が「勅令」として指示した戦時兵食は、日清戦争と同じ白米飯(精白米6合)であった。その理由として「麦は虫がつきやすい、変敗しやすい、味が悪い、輸送が困難などの反対論がつよく」[37]、その上、脚気予防(理屈)とは別のもの(情)もあったとされる。白米飯は庶民あこがれのご馳走であり、麦飯は貧民の食事として蔑まれていた世情を無視できず、また部隊長の多くも死地に行かせる兵士に白米を食べさせたいという心情があった。最後に、鴎外の「陸軍兵食試験」が脚気発生を助長したという批判については、兵食試験の内容(当時として正しい試験で正しい結論)を把握せず、しかもビタミンの存在を知っている後世から、その存在を知らなかった前世への暴論である。ただし兵食試験の成績は、上官の石黒によってゆがめられた。その誤用を看過したことは、階級社会の軍隊でも、部下の鴎外に責任がまったく無いといえない。

以上より、鴎外が脚気問題で批判される多くは、筋違いのものとされる。その筋違いの批判が起こった理由として、海軍の兵食改革を批判しすぎたこと、論理にこだわりすぎて学術的権威に依拠しすぎたこと、上官の石黒に同調して利用されすぎたことが挙げられる。


[編集] 年譜
年齢は数え年

1862年2月17日(文久2年1月19日・1歳) - 石見国津和野藩の津和野(現・島根県鹿足郡津和野町)に、津和野藩医・森静泰(後に静男と改名)、峰子の長男として生まれる。
史跡・森鴎外生家1867年(慶応3年・6歳) - 11月、村田久兵衛から論語を学ぶ。
1868年(慶応4年・7歳) - 3月、米原綱善から孟子を学ぶ。
1869年(明治2年・8歳) - 藩校である養老館で、四書を一から読み直す。
1870年(明治3年・9歳) - 五経、オランダ語を学ぶ。
1871年(明治4年・10歳) - 藩医である室良悦から、本格的にオランダ語を学ぶ。
1872年(明治5年・11歳) - 6月、父とともに向島小梅村へ上京。その後、向島曳舟通りに移る。ドイツ語習得のため、本郷の進文学社に入る。
1873年(明治6年・12歳) - 6月、津和野町の家を売却し、祖母、母なども上京。
1874年(明治7年・13歳) - 1月、第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)へ入学。後に東京医学校へ名称が変更される。
1877年(明治10年・16歳) - 東京医学校は東京開成学校と合併し、東京大学医学部へ。そして、鴎外は本科生に。
1880年(明治13年・19歳) - 本郷龍岡町の下宿屋「上条」へ移る。翌年3月、下宿先で火災に遭う。
1881年(明治14年・20歳) - 春、肋膜炎にかかる。7月、東京大学医学部を卒業。文部省広報に「東京府士族 森林太郎 十九年八ヶ月」とみえる。その後、明治政府に仕える。9月、「読売新聞」に寄稿した「河津金線君に質す」が採用される。これが鴎外の初めて公にされた文章であろう。12月、東京陸軍病院課僚を命じられて、陸軍軍医の副の任務に就く。
1882年(明治15年・21歳) - 2月、第一軍管区徴兵副医官になり、従七位の勲等を授かる。5月、陸軍軍医本部課僚になり、プロシア陸軍衛生制度の調査に駆り出される。
1884年(明治17年・23歳) - 6月、陸軍衛生制度、衛生学研究の目的で、ドイツ留学を命じられる。8月、横浜を出航。10月、ドイツに到着。ライプツィヒ大学でホフマン教授などから学ぶ。『ビイルの利尿作用に就いて』の研究を始める。
1885年(明治18年・24歳) - 1月、ハウフの童話を翻訳した『盗侠行』を発表。2月には、ドイツ語で『日本兵食論』『日本家屋論』を書く。5月、陸軍一等軍医へ昇進。10月、ドレスデンへ移り、軍医監ロートに就く。
1886年(明治19年・25歳) - 3月、ミュンヘンに移る。大学衛生部へ入学し、ペッテンコーフェルから衛生学を学ぶ。
1887年(明治20年・26歳) - 4月、ベルリンへ移る。5月、北里柴三郎とともに、コッホを訪ね、衛生試験所へ入る。
1888年(明治21年・27歳) - 3月、プロシア近衛歩兵第二連隊の軍隊任務に就く。9月、日本へ帰国。10月、陸軍大学校教官へ就任。12月、『非日本食論将失其根拠』を自費で出版。
1889年(明治22年・28歳) - 1月、『東京医事新誌』を主宰。その後、読売新聞で『医学の説より出でたる小説論』が発表され、本格的な文筆活動が始まる。3月、写真婚で、海軍中将赤松則良の長女登志子と婚約。5月、東京美術学校専修科美術解剖学講師に就任。8月、訳詩編『於母影』を「国民之友」に発表。10月、軍医学校陸軍二等軍医正(中佐相当官)教官心得になる。
1890年(明治23年・29歳) - 1月、『医事新論』を創刊。「舞姫」を「国民之友」に発表。8月、「うたかたの記」を「しからみ草紙」に発表。この作品は、石橋忍月との論争の火種になる。9月、長男於菟誕生。しかし、まもなく妻登志子と離婚。10月、本郷駒込千駄木町57に居住を移す。そこを、鴎外は「千朶山房」と呼ぶ。
1891年(明治24年・30歳) - 1月、『文づかひ』を刊行。8月、医学博士の学位を授与される。9月、「山房論文」を「しからみ草紙」に発表。「早稲田文学」で坪内逍遙と没理想論争を交わす。
1892年(明治25年・31歳) - 7月、小説翻訳集『美奈和集』を春陽堂から刊行。8月、医学、文学の論争からしばし離れて、休息を取るために「観潮楼」を建設。11月、アンデルセンの「即興詩人」を「しがらみ草紙」に連載。
1893年(明治26年・32歳) - 11月、陸軍一等軍医正(大佐相当官)になり、軍医学校長に。
1894年(明治27年・33歳) - 8月、日清戦争開戦。軍医部長として中国(盛京省花園口)へ上陸。10月、広島に執務後、11月大連へ上陸。
1895年(明治28年・34歳) - 5月、日清講和条約成立に伴い、日本(宇品)に帰国後、台湾へ赴任。8月、台湾総督府陸軍局軍医部長になる。9月、日本に帰国。
1896年(明治29年・35歳) - 1月、「めさまし草」を創刊。3月、幸田露伴、斎藤緑雨らとともに「三人冗語」を「めさまし草」に連載。4月、父静男死去。
1897年(明治30年・36歳) - 1月、中浜東一郎(中浜万次郎=ジョン万次郎の長男)、青山胤通らとともに「公衆医事会」を設立、「公衆医事」を創刊。
1898年(明治31年・37歳) - 10月、近衛師団軍医部長兼軍医学校長に就任。
森鴎外旧居、小倉北区1899年(明治32年・38歳) - 6月、第十二師団軍医部長になり、九州・小倉に赴任。
1902年(明治35年・41歳) - 1月、大審院判事荒木博臣の長女志げと再婚。3月、東京に転勤。
1903年(明治36年・42歳) - 1月、長女茉莉誕生。
1904年(明治37年・43歳) - 2月、日露戦争開戦。4月、第2軍軍医部長として、宇品から、中国へ渡る。『うた日記』を書く。
1905年(明治38年・44歳) - 奉天会戦勝利後、残留していたロシア赤十字社員の護送に尽力。翌年、1月帰国。
1906年(明治39年・45歳) - 6月、山県有朋らとともに歌会「常磐会」を設立。賀古鶴所らとともに幹部に。
1907年(明治40年・46歳) - 3月、与謝野寛、伊藤左千夫、佐佐木信綱らと「観潮楼歌会」を開く。6月、西園寺公望が主催した歌会「雨声会」に出席。8月、次男不律誕生。10月、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長になる。
1908年(明治41年・47歳) - 1月、弟篤次死去。2月、次男不律死去。5月、文部省の臨時仮名遣調査委員会委員になる。
1909年(明治42年・48歳) - 3月、「スバル」に、口語体小説「半日」を寄稿。以後、頻繁に寄稿する。5月、次女杏奴誕生。7月、文学博士の学位を得る。『ヰタ・セクスアリス』が発売禁止となる。
1910年(毎時43年・49歳) - 2月、慶應義塾大学の文学科顧問となる。
1911年(明治44年・50歳) - 2月、三男類誕生。5月、文芸委員会委員になる。9月、「雁」を「スバル」に連載。
1912年(明治45年・51歳) - 1月、文芸委員会に頼まれていた戯曲『ファウスト』の訳を完結させる。10月、鴎外にとって、初の歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」を「中央公論」に発表。
1913年(大正2年・52歳) - 1月、「阿部一族」を「中央公論」に発表。
1914年(大正3年・53歳) - 1月、「大塩平八郎」を「中央公論」に発表。2月、「堺事件」を「新小説」に発表。

永明寺の墓1915年(大正4年・54歳) - 1月、「山椒大夫」を「中央公論」に、「歴史其儘と歴史離れ」を「心の花」に発表。11月、大嶋次官に辞意を表明。同年、渋江抽斎の研究を始める。
1916年(大正5年・55歳) - 1月、「高瀬舟」を「中央公論」に、「寒山拾得」を「新小説」に発表。「渋江抽斎」を「日日新聞」に連載。3月、母峰子死去。
1917年(大正6年・56歳) - 12月、帝室博物館総長に就任。高等官一等に叙せられる。
1918年(大正7年・57歳) - 11月、正倉院宝庫開封に立ち会うため奈良に一時滞在。以後1921年まで毎秋、奈良を訪れた。
1919年(大正8年・58歳) - 9月、帝国美術院の初代院長に就任。
1920年(大正9年・59歳) - 1月、腎臓を病む。
1921年(大正10年・60歳) - 6月、臨時国語調査会長に就任。秋、足に浮腫が出来はじめるなど、腎臓病の兆候が見られ始める。
1922年(大正11年・61歳) - 4月、イギリス皇太子の正倉院参観に合わせ、奈良へ5度目の旅行。途中、いくどか病臥する。6月29日、萎縮腎と診断される。また、肺結核の兆候も見られた。7月6日、友人の賀古鶴所に遺言の代筆を頼む。7月9日、午前7時死去。向島弘福寺に埋葬される。
1927年(昭和2年) - 墓が三鷹市禅林寺に移される。分骨され津和野町永明寺にも墓がある。

確認できました。

国語調査会長 臨時

— posted by サイト管理者 at 04:26 pm  

ナイスゴーイングカード

Sat 13 Dec’08

カテゴリー » 横浜

[編集] 歴史
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄が分割民営化され、九州旅客鉄道発足。
1988年(昭和63年)
2月1日 - 山野線廃止。
4月1日 - 松浦線廃止(松浦鉄道に転換)。
3月13日
特急「有明」に「ハイパーサルーン」783系電車を投入(JRグループ初の新形式特急車両)。
普通・快速列車分煙化。福岡・北九州地区の電車は指定車両、それ以外の地区の列車は進行方向先頭車両を喫煙車とする。
8月28日 - 豊肥本線で8620形蒸気機関車による「SLあそBOY」運転開始。
9月1日 - 上山田線廃止。
1989年(平成元年)
3月11日 - 特急「ゆふいんの森」運転開始。
4月28日 - 高千穂線廃止(高千穂鉄道に転換)。
4月29日 - 世界初の電車と気動車による動力協調運転開始(「有明11号」・「オランダ村特急」。1992年まで続いた)。
10月1日 - 伊田線・糸田線・田川線廃止(3線区とも平成筑豊鉄道に転換)。
12月23日 - 宮田線廃止。
1990年(平成2年)
3月12日 - 博多と小倉に電話予約センターを開設。
5月2日 - 高速船「ビートル」が博多港 - 平戸 - 長崎オランダ村間で運航開始。
6月5日 - 一般旅行業取扱開始。
7月2日 - 集中豪雨により、豊肥本線宮地 - 緒方間が不通になる(1991年10月19日に全線復旧)。
1991年(平成3年)
3月1日 - 電話予約サービスを九州全域に拡大。
3月25日 - 博多 - 釜山間に高速船「ビートルII」運航開始。
1992年(平成4年)
3月25日 - 大村線早岐 - ハウステンボス間電化。特急「ハウステンボス」運転開始。また、高速船「ビートル」の航路を博多港 - 平戸 - ハウステンボス間に変更。
7月15日 - 鹿児島本線に783・787系電車で特急「つばめ」運転開始。
1994年(平成6年)
3月31日 - 博多港 - 平戸 - ハウステンボス間の高速船「ビートル」休航。
1995年(平成7年)
4月20日 - 883系電車で特急「ソニックにちりん」運転開始。
9月1日 - 普通・快速列車を全面禁煙化。
1996年(平成8年)
1月10日 - JR九州を含む三島会社が運賃を改定。JRグループの日本全国同一運賃体系が崩れ、運賃格差が発生。
2月1日 - 外食・物販部門をジェイアール九州フードサービス、ジェイアール九州リーテイル(現・JR九州リテール)に分社。
4月20日 - 「ナイスゴーイングカード」会員募集開始。
7月18日 - 宮崎空港線が開業。
11月1日 - JRグループでは初めて、指定席の繁忙期料金を廃止。
1999年(平成11年)10月1日 - 豊肥本線熊本 - 肥後大津間が電化。
2000年(平成12年)
3月11日 - 特急「かもめ」で885系電車運転開始。
2月26日 - JACROSの開発工事終了、順次供用開始。
2001年(平成13年)
4月1日
福岡本社と北九州本社を統合、北部九州地域本社発足。
福岡市交通局との共通カード乗車券「ワイワイカード」を導入。
6月22日 - 改正JR会社法が施行(成立は2001年6月15日)。本州3社が本法の適用から除外されたものの、指針によりJR九州を含む三島会社とJR貨物との協力関係の維持を規定。
7月1日 - 自動車事業部をすべてジェイアール九州バスに分社。
9月27日 - 特急回数券「2枚きっぷ・4枚きっぷ」を発売開始。
10月6日 - 筑豊本線黒崎・折尾 - 桂川間と篠栗線が電化。これに合わせ福北ゆたか線と愛称をつける。
2002年(平成14年)
2月22日 - 鹿児島線列車追突事故が発生。
12月23日 - この年の天皇誕生日より、すべての有人駅で、すべての国民の祝日に日章旗の掲揚を開始。
2003年(平成15年)
4月1日 - 「JR九州インターネット列車予約」開始。
7月18日 - 長崎本線特急列車脱線転覆事故が発生。
2004年(平成16年)
3月13日 - 九州新幹線鹿児島ルートの一部(新八代 - 鹿児島中央間)開業。これに伴い、並行する鹿児島本線の一部(八代 - 川内間)を肥薩おれんじ鉄道に移管。
3月13日 - 急行「くまがわ」が特急「九州横断特急」・「くまがわ」に格上げされ、廃止。これにより、JR四国に続いて管内から定期急行列車が消滅。
2005年(平成17年)
3月1日 - 寝台特急「さくら」が廃止。
8月28日 - 「SLあそBOY」がこの日限りで運転終了。
10月1日 - 寝台特急「彗星」が廃止。
10月1日 - 船舶事業部が分社化、JR九州高速船発足。
2006年(平成18年)
7月22日 - 豊肥本線で観光列車「あそ1962」運転開始。
9月17日 - 日豊本線特急脱線転覆事故が発生。
2007年(平成19年)
3月18日 - 管内列車の大幅な禁煙化を実施。
2008年(平成20年)
3月15日 - 寝台特急「なは」・「あかつき」廃止。これにより定期旅客列車に関してはJR他社の車両の乗り入れがなくなる。
4月1日
管内主要駅に設置している旅行代理店名をこれまでの「ジョイロード」から「JR九州旅行」に変更。
豊肥久大、阿蘇、霧島高原、指宿の4鉄道事業部廃止。

了解しました。

実施 大幅な禁煙化

— posted by サイト管理者 at 03:17 pm  

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